【体験談6】うつ病とパニック障害に悩む人生を告白!
どうも、天津です!
うつ病やパニック障害などの“心の病”を発症し、「いつも疲れていて休んでも回復しない」「自分を価値のない存在だと感じる」とお悩みではないでしょうか?
この記事では、シリーズに渡って「私自身のうつ病とパニック障害の体験談」を告白します。
この記事は次のような人におすすめ!
- 心の病に苦しんでいるのは自分だけではないのか知りたい
- 将来が見えず、不安でいっぱいになる
- 周囲の人に病気を理解してもらえない
- 急に気分が良くなったり悪くなったりする
今回紹介する【体験談6】うつ病とパニック障害に悩む人生を告白は、シリーズ6回目となります。
シリーズを重ねるごとに、心の病を克服できるようなヒントが出てくるかもしれないので、ぜひ最後までお読みください!
それでは、どうぞ!
職場の学校にカムバック
約1年間の休職期間を経て、なんとか職場の学校に復帰することができました。
多くの先生方に「お帰りなさい」と言ってもらえて本当に嬉しかったです。
負担軽減のため主任などの役職は外され、小学校教員として再スタートです。
しかし、パニック障害などの精神疾患には「完治」はありません。
その代わり「寛解(かんかい)」と言って、病気が一時的に症状が軽減されたり、症状が全く見られなくなったりする状態になります。
私の場合は、パニック障害の症状が落ち着いているだけだったので、復帰しても薬の分量はほぼ変わっていませんでした。
無理難題の条件
寛解の状態を維持しながら働き続けるための以下の条件を、主治医から出されました。
- 定時で帰る(残業しない)
- 無理をしない
- 疲れたら休む
- 自宅で仕事をしない
- 休日出勤しない
私にとっては「無理だ」「不可能」と思うような条件でした。
なぜなら、これまでの小学校教員生活において「残業や休日出勤・自宅勤務をして当たり前」ということが前提で、ずっと働いてきたのです。
こららを全てできない状態で、どうやって仕事をするのでしょうか?
働き続けることしか選択できない私は、残業をしないで定時で帰り、なるべく疲れないように働く方法を模索し始めました。
初めてのセルフ働き方改革
私が最初に定時に帰るために実行した方法は、「とにかく定時で帰る」というものでした。
仕事がすべて終わっていません。
やるべきことはたくさんあります。
しかし、パニック障害の寛解を維持するためには、残業しないで定時に帰らなければなりません。
それを守るために、何が何でも定時で帰る習慣を身につけるようにしました。
不思議なことに「定時で帰る」という意志が強いと、本当に定時で帰ることができるようになるのです。
私にとって初めて働き方改革を実行した瞬間でした。
寛解を維持するために定時で帰る方法7選
定時で帰っても仕事がなくなるわけではないので、どうにかして効率的に処理する必要があります。
そこで「残業ゼロ」「定時退勤」「生産性」「効率性」などのキーワードが書かれたビジネス書を買い込み、自分のできそうなことをリストアップしました。
職場の復帰後に実行した、パニック障害の寛解の状態を維持するために定時で帰る方法7選を、以下に説明します。
1.デスク周りの整理整頓
ビジネス書を読んで、自分ならできそうだと真っ先に思ったのは「整理整頓」でした。
仕事の効率を上げるための基本は、デスク周りの整理整頓なのです。
なぜなら、散らかったデスクでは、必要な資料や道具を探すのに時間がかかり、生産性が下がるからです。
まず、できる限り物を減らすように必要なものと不要なものに分け、不要なものは捨てるか、欲しいと言ってきた同僚の先生にプレゼントしました。
事務室が近くにあるので、文房具は最小限のものだけに留めておき、頻繁に使用するものは机の上、2番目の引き出しには何も入れないなど、配置を決めてルール化しました。
そのおかげで、常にスッキリした状態をキープしておくことができ、リラックスすることもできました。
2.職場の空気を読まない
周囲がまだ残業をしているのに、「お疲れさまです」と言って退勤するのは心苦しいものがありました。
「もう帰るの?」「仕事は終わっているの?」「明日も授業があるけど大丈夫なの?」などの言葉を言われているように感じてしまうのです。
そこで実践したのは「職場の空気を読まないこと」です。
空気を読んでしまうと、定時に帰りたくても帰れなくなってしまうからです。
定時で帰ることは悪いことではなく、むしろ健康的で効率的な働き方だと考え、周囲の目を気にせず、自分の仕事に集中し、時間内に終わらせることを心がけました。
一日の予定を立てて計画的に行動したり、時間がなくてできない・終わりそうもない仕事は断るようにしました。
3.すぐできる仕事はその時・その場で処理する
「後でやろう」と思って後回しにすると、結局溜まってしまいがちな仕事。
すぐに終わる仕事はその時・その場で片付けるようにしました。
これにより、仕事の山がどんどん減り、精神的な負担も軽くなります。
また、小さなタスクを早めに処理することで、後で大きなタスクに集中する時間が確保できます。
今までスピード重視で仕事をしてきました。
ただ、あまりにも「急いでいらなきゃ」「素早く処理しよう」と思ってしまうとプレッシャーになるので、実行までのスピードは早く、仕事の取り組みは普通のペースで行いました。
4.シングルタスクで行動する
これまで複数のタスクを一度に行うマルチタスクを意識して仕事をしていました。
ところが、マルチタスクが脳に負担をかけてしまうことをビジネス書で知ったのです。
一度に多くのことをしようとすると、かえって効率が悪くなることがあります。
シングルタスク、つまり一つのことに集中して取り組むことで、ミスを減らし、効率的に仕事を進めることが効果的です。
要するに「○○しながら○○をする」という考え方をやめたのです。
例えば、プリントを印刷している最中に、印刷機の上に指導書を置いて教材研究をしていたことがありましが、そうしたことをストップしました。
5.完璧を目指さない
取り掛かった仕事や自分が関わる仕事については、100%成功させようと考えていました。
ところが、ビジネス書を読んで「仕事は8割できていれば大丈夫」だということを知りました。
小学校教員としてキャリアも積んでいたので、手を抜いても構わない部分や全体にほとんど影響しない部分については細かく見ずに、重要なところに集中したのです。
例えば、研究授業の指導案を作成する際は、本時の指導法や授業展開に力を入れて、他の部分については過去の自分が作成した指導案を参考にしてコピペしたり、大枠だけ作っておいて同僚の先生に相談したりするようにしました。
誤字や脱字、文章構成の少しおかしいところについても、フィードバックを受けるようにしました。
おかげで仕事のスピードは格段に上がったと思っています。
6.努力・頑張り・一生懸命を捨てる
「努力」「頑張り」「一生懸命」という言葉は美しく、ついつい多用してしまいがちですが、これらにとらわれすぎると自己犠牲に繋がることがあります。
効率的に働くためには、これらの考え方を一旦手放し、必要なことを淡々とこなすことが重要だということを知りました。
「努力しよう」「頑張ろう」「一生懸命にやろう」という意識を強く持ちすぎると、かえって空回りしてしまうのです。
それに強く意識してもしなくても、仕事の質に大きく影響しないことに気づきました。
冷静に仕事をこなすことで、自分でストレスをかけうことを回避することができるようになしました。
7.同僚を頼る
休職する前は、自分ひとりで仕事を抱え込えこむクセがありました。
それを手放し、同僚を頼ることの大切さを認識することができたのです。
職場に復帰したばかりの頃は、行動が遅かったように感じていましたが、多くの同僚の先生方のフォローによって支えられました。
チームワークを活用することで、効率よく仕事を進めることができるようになるのです。
また、他の人に助けを求めることで、新しい視点やアイデアを得ることもできます。
自分の尊敬する先輩の先生方が、非常に「謙虚」な姿勢を持っている理由が分かりました。
謙虚な人は自己中心的でなく、他人の意見や能力を尊重する姿勢を示すため、協力的で頼りがいのあるパートナーや同僚として評価されやすいです。
そのことを復職を通じて学ぶことができました。
新しい職場の学校へ異動
公立学校教員は一定の年数が経つと、他の学校へ異動しなければなりません。
私もそのタイミングだったので、新しい職場へ異動することになりました。
不安要素があったのは、「異動した職場でも自分が実行してきた働き方改革が通用するのか?」「通勤距離が長くなってしまったので、精神的・体力的に大丈夫か?」という問題です。
復職してからはパニック発作などの症状が全く出ていなかったことが、唯一の安心材料でした。
定時で帰ることができない日々
復職直後から実践してきた働き方改革をしようにも、新しい学校の職場になると覚えなければならない仕事がたくさん出てきて、なかなか定時で帰ることができませんでした。
一年間経験していれば予想をしながら計画的に働くことができるのですが、非常に難しかったです。
主治医から復職する時は「新しい環境」より「元にいた環境」の方が仕事がしやすいと言われていたのは、このことだったと実感しました。
本来なら「寛解の状態なのだから定時で帰る」と目標を立てて働くべきだったのですが、「一刻も早く新しい職場の先生方から認められたい」という思いが強かったために、無理をしてしまいました。
また、一部の同僚の先生との確執もあり、人間関係で悩んでいました。
長い通勤時間の疲労
通勤距離が長かったため、早く起きて自宅を出発しなければなりませんでした。
電車を乗り継いで、バスにも乗って、ヘトヘトの状態で到着していました。
普段から使っていた電車の遅延や運転の見合わせがあった日には、遠回りして職場に行かなければならないため、1時間目に間に合うギリギリのところで学校に着き、汗だくで授業をしたことが何度かありました。
2学期の途中まで頑張ることができたのですが、体調が急変してしまい、通勤できなくなってしまったのです。
そして再び休職期間に入ることになってしまいました。
まとめ
今回の記事では、「私自身のうつ病とパニック障害の体験談」のシリーズ6について解説してきました。
次回、体験談のシリーズ7の記事では「うつ病の再発と2回目の休職」についての話をしていきたいと思います。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。