【体験談7】うつ病とパニック障害に悩む人生を告白!
どうも、天津です!
うつ病やパニック障害などの“心の病”を発症し、「いつも疲れていて休んでも回復しない」「自分を価値のない存在だと感じる」とお悩みではないでしょうか?
この記事では、シリーズに渡って「私自身のうつ病とパニック障害の体験談」を告白します。
この記事は次のような人におすすめ!
- 心の病に苦しんでいるのは自分だけではないのか知りたい
- 将来が見えず、不安でいっぱいになる
- 周囲の人に病気を理解してもらえない
- 急に気分が良くなったり悪くなったりする
今回紹介する【体験談7】うつ病とパニック障害に悩む人生を告白は、シリーズ7回目となります。
シリーズを重ねるごとに、心の病を克服できるようなヒントが出てくるかもしれないので、ぜひ最後までお読みください!
それでは、どうぞ!
まさかのうつ病の再発!?
普通に仕事をしているだけなのに、日に日に体調が悪くなってしまったのです。
授業をしていても具合が悪くて途中で座り込んでしまうし、子どもたちの名前や学習内容が思い浮かんでこなかったり、同僚の先生と話し合っていても理解できなかったりして、頭がパニックになってしまいました。
一年間という長い期間でパニック障害の症状が良くなり、寛解の状態になっていたと思っていたので、非常に驚きました。
やはり「完治」ではなく「寛解」なのです。
前回もお伝えしましたが、寛解とは病気が一時的に症状が軽減されたり、症状が全く見られなくなったりする状態のことを言います。
寛解していた症状が出てきて、再び私に襲いかかってきたのです。
診断結果はうつ病
主治医の問診を受け、出された診断結果は「うつ病」でした。
パニック障害ではなく、この時に人生で初めてうつ病と診断されたのです。
見出しに「まさかのうつ病の再発!?」と書きましたが、おそらく大学時代にうつ病になっていたのではないかと推測しています。
私が精神疾患について無知でしたし、周囲で知っている人が誰もいませんでした。
現在のようにネットやテレビ番組で、精神疾患に関する情報があまり出ていなかったと思います。
当時は以下のような症状がありました。
- 絶望感
- 不安感
- 疲労感
- 吐き気
- 強い眠気
- 頭痛
- 集中力・思考力・記憶力の低下
- 意欲の減退
- 慢性的な腰痛・首の痛み
パニック発作の症状は全くなかったですし、上記のうつ病に該当する症状が多かったので、うつ病だと診断されたのだと思っています。
朝は特にダメで、身体が重くてベッドからなかなか起きることができませんでした。
吐き気も酷く、何度もトイレに行くような状態が続きました。
うつ病の原因
私が新しい職場に異動してから数カ月間が経ち、徐々に体調不良になって、最終的にはうつ病を発症してしまいました。
どうしてうつ病になってしまったのか、原因を考えてみました。
- ほぼ毎日の残業
- 自宅勤務
- 単学級
- 不慣れな職場環境
- 経験の無い仕事内容
- 信頼関係が構築していない人間関係
- 一部の同僚との確執
- 長い通勤時間
- 朝の出発時刻が早くなった
もともとパニック障害が寛解の状態だったことに加えて、慣れない環境や人間関係、思うように進まない働き方改革、自宅から学校までの遠距離などが主たる原因でしょう。
同じ条件でも、うつ病になる人もいれば、ならない人もいます。
もっと大変な思いをして仕事をしている人だっているでしょう。
「私はどうしていつも精神疾患になるのだろう?」「誰か精神疾患にならない方法を教えてほしい」「疲れたら熱が出て、寝れば回復できるように、すぐに治りたい」と悔しさ、情けなさ、申し訳なさでいっぱいになりました。
2回目の休職
2回目の休職のため、精神的にショックを受けていました。
まさか、人生で2回も休職するなんて考えたことがなかったからです。
若手教員時代にキャリアプランを立てたことがありましたが、そのシートに「休職」などの言葉を書いたことも、書こうと思ったこともありませんでした。
私が知りたいのは「どうして自分が精神疾患になってしまうのか?」「死ぬまで寛解状態を維持できる方法はないのか?」という2点です。
分かれば自分でも対策を立てようがあるのですが、全く不明です。
主治医に聞いても、精神疾患に関する本を読んでも、明確な答えが見つかりません。
いつの日か、はっきりとした答えが分かることを強く願っています。
しばらく実家で療養
体調が少しずつ回復してきたことを機に、実家でしばらく療養することにしました。
両親の温かい言葉や食事で心が癒やされました。
朝の爽やかな空気を吸いながら、朝食の支度をしてくれる母の姿を見ていると、何故か心が落ち着きます。
父は一緒に散歩に連れて行ってくれ、その間に色々な話をしました。
自然の中を歩きながら、昔の思い出話やこれからのことについて語り合う時間は、私にとってとても貴重で、回復への大きな一歩となりました。
実家での生活は、以前の忙しさとは全く異なり、ゆったりとした時間が流れていました。
朝食を一緒に取ったり、夕食後にテレビを見ながら笑い合ったりと、家族との絆を再確認する日々が続きました。
この療養期間を通じて、私は家族の大切さを改めて実感し、自分がどれだけ支えられているかを強く感じました。
そして、エネルギーを徐々に蓄えることができました。
再起をかけた準備
もう二度と精神疾患が発症して、休職をしたくありません。
体調を戻して、普通に働ける状態にするためにはどうすればいいのか考えました。
1回目の休職期間で経験したことを活かして、同じように「体力を戻すためのトレーニング」「仕事に戻るためのトレーニング」「職場でのリワーク」の3ステップで行いました。
ただ2回目は、1回目の休職期間とは違うところがありますので、以下に紹介したいと思います。
カフェまでウォーキング+パソコン作業
精神疾患に関する本を読んだ際に、パニック障害の症状を悪化させる要因の一つとして、乳酸の蓄積が関与している可能性があることを知りました。
どうやら運動やストレスによって乳酸が蓄積すると、体内の酸性度が増し、過呼吸を引き起こすことがあるそうなのです。
そこでジムに通って筋トレをするのはやめて、運動をウォーキングに変えることにしました。
ただウォーキングだけを目的にするのは嫌だったので、仕事に戻る準備をするためにカフェでパソコン作業することと合わせることを考えたのです。
自宅から歩いて30分くらいにあるカフェをリワーク場所に設定し、そこで数時間パソコンで教材研究をしたり読書をしたりしました。
復職の1か月前から勤務先の学校に戻り、授業はやりませんでしたが通常の勤務に近い仕事を続けて、心身を慣らしていきました。
グループカウンセリング
通院している病院では問診だけでなく、グループカンセリングを受けるようにしました。
待合室では多くの患者さんが訪れていることは知っていましたが、その患者さんたちがどのような悩みや問題を抱えているかは分からなかったですし、同じ気持ちを共有することで自分が変われるのではないかと考えたからです。
グループカウンセリングでは、以下のようなプログラムを行いました。
- よかったこと・できたこと探し:些細と思うことでも、積極的に自分で良かったことやできたことを見つけてメモしていく。例えば、朝早く起きれた、美味しいパスタを食べた、映画を見たなど
- 感情の点数化:一日に行動したことについて点数を付けていく。例えば食事50点、散歩80点、起床30点など
- 認知行動療法に関する授業:考え方・行動へのアプローチという工夫を学んだり、うつ病に特有な 「考え方のくせ」を知ったりする。
- 問題解決技能法に関する授業:問題を整理し、解決につなげるための「行動」や「対処法」を導き出す方法を学ぶ。
グループカウンセリングを通じて、自分の考え方を少しずつ変えることができただけでなく、「うつ病などの精神疾患で苦しんでいるのは自分だけでなく、他の人も同じように苦しんでいること」を感じ取ることができたことです。
私は初めて精神疾患を抱えている人と話すことができました。
朝起きられなかったり、食事が摂れなかったり、職場に行けずに悩んでいたりすることが分かり合え、視野が広がったようでした。
精神疾患で本当につらい病気なんです。
風邪のように咳をしていませんし、骨折のように包帯を巻いていません。
ガンのように画像診断や内視鏡検査をしても分かりません。
見た目には非常に分かりにくいかもしれませんが、当事者は実際に苦しんでいることをぜひ理解してほしいです。
理解してくれるだけで気持ちが救われる人がたくさんいます。
まとめ
今回の記事では、「私自身のうつ病とパニック障害の体験談」のシリーズ7について解説してきました。
次回の体験談のシリーズ8の記事は現在進行中です。
また症状や近況の変化がありましたら、執筆したいと思います。
以上、最後までお読みいただきありがとうございました。